今時の魔道士 - 第二章 始まりの合図


都内のとあるビルの前に、車が止まっていた。
何も気になる所のない、普通のビルだ。
車に乗っていた三人は、そのビルの一階の空き部屋にいた。
その部屋は仕切りとなる壁がほとんどないせいか、かなり広く感じられる。一階は玄関と階段付近以外は全てその部屋の空間らしい。
今は全く使われていないのか、土埃がたまっている。手入れも行き届いていないようだ。
三人は、そんな部屋の、入り口から離れた壁際にいた。
三人のうち、男二人には特に特徴はなく、普通のサラリーマンといった感じだ。歳は20代半ばくらい。服装もワイシャツにズボンと、外回りのようである。
もう一人、少女は…制服を着ているようだが、上着の表面が所々焦げている。どこの制服かを判断するのは難しい。
裏生地は無事なのか穴は開いていないし、スカートはほとんど端だけしか焦げていないので、命に別状はなさそうだ。
ただ、不思議な事に、すすは付いていない。火災現場から助け出されたのではないようだ。
不思議と言えば、この少女のあたりは少し明るくなっている気がする。窓から直接太陽光が当たってはいるが、それだけではない明るさである気がする。
少女は、今は背広二枚の上で寝ている。少女が起きるのを待っているのか、男達はその場に座っていた。
不意に、男のうちの背の低い方が話しだした。
「加賀、やはり戻った方がよくないか?」
加賀と呼ばれたもう片方が答えた。
「そうは言ってもな、秋山、今さら戻れると思うか?」
背の低い方は、秋山と言うらしい。
「確かにそうなんだけど、でも、しかし…」
「戻れねぇなら何言ったって仕方ねぇだろ?グダグダ言ってねぇで善後策考えようぜ。」
「…ぅ…」
突然、少女が起きだした。辺りをうかがっている。
「おや、起きたか。」
秋山がまず気付いた。
「よぅ、起きたか。あ、俺らは怪しい者じゃねぇ、安心してくれ。」
「ええ、信じてもらえないかも知れませんが、政府には魔法庁という機関がありまして、我々はそこに…」
「…」
「いや待て、お前状況考えろ。」
「だから状況説明じゃないか。」
「…」
「いやいや今言ったって聞こえねぇって。少し待てよ。まずは相手の気を落ち着かせてからだ。」
「…分かった。」
「…」
「…」
「…」
「…」
少女は未だに状況が理解出来ていないようだ。ずっと黙って見回している。
ふと、加賀が立ち上がった。
「仕方ねぇな、先に雑用を片付けるか。そっちは頼むぜ。」
「…」
「…」
加賀は部屋の入り口に向かった。
しばらくは加賀の足跡だけが響いた。
その足音も遠のいた頃、ようやく少女は喋りだした。
「あの…」

加賀はまっすぐに部屋の入り口に向かった。
後ろを振り返る事もなく入り口に着くと、あたりを見回した。
「隠れる必要はないぜ、奇襲は無理だ。」
加賀はあまり人に聞かれないように言った。
と、物陰から何者かが出てきた。
「気付かれないようにしたんだけどね。仕方ないね。」
出てきた男は、Tシャツにジーパンといったラフな格好で、髪が少し茶色く見える。
歳はあまり加賀と変わらないようだ。
二人は人目を避けるためか階段横の通路に移動した。
ここなら外からも階段からも見られる心配はない。この道の先にあるトイレを使うなら別だが、そんな人はいないだろう。
しかも、どういう設計図だったのか、人二人が十分歩ける幅と短距離走が出来そうな長さがある。
「ただの下っ端がスパイの真似事なんてするもんじゃねぇぜ。」
「下っ端じゃないし、スパイじゃなくて刺客って呼んで欲しいね。」
「刺客の意味、知ってんのか?」
「当然だね。二人同時じゃなくて都合がいい、まずは貴様からだね。」
男、自称刺客が言い終わった時、それまで無風だった通路に風が起こった。
足元の埃の動きからすると、その風は刺客を中心としているらしい。
「へぇ、風か、少しはいい戦いができるといいな。」
加賀が言いながら何かを払うような動作をした。
すると加賀の手の先に火の玉が現れ、宙に留まった。
「相性ってのを知らないのかね。圧勝だね。」
「知ってて言ってるのさ、俺の圧勝だってな!」
刺客は地面を蹴った。身軽な事もあって、そこそこ速い。
かなり間を取って対峙していた加賀だが、この速度なら一秒で間がなくなるだろう。
「魔法を出したら接近戦に弱いって、習わなかったのかね。」
「忠告してる余裕あんのか?フレイムバルカン!」
加賀が手を突き出すと、先ほどの火の玉から小さめの火の玉が無数に飛び出し、敵を襲った。
それに反応して刺客は走るのをやめ、少し下がって何やら構えた。
炎は刺客に届く前に、全て燃え尽きた。
火の玉から飛び出す火はまだ止まらないが、全て刺客の少し前から急に弱まり、届かない。
やがて、刺客は構えながらも前進してきた。
「無駄な抵抗はよしたほうがいいね。全然効いてないね。」
「いや、効いてるさ…らぁ!」
「お、お前、魔法は使ってる…っ!」
加賀は敵が十分に近付いたのを見ると、急加速して殴りかかった。
炎に気を取られていた刺客は、ガードする事もできず、加賀のストレートをまともに腹に食らった。
しかし、威力は低かったようで、刺客は後方に数歩よろけたものの、倒れてはいない。
「殴る時は魔法を入れなきゃならない、なんて決まりはねぇぜ。」
言いながら、加賀は火の玉をつかんだ。風船のように縮まっていく。
火の玉が消えると、加賀はそのままその手を拳にして敵に打ち込んだ。
刺客に最初の一撃を与えてからこの一撃まで、わずか三秒。よろけていて反撃の余裕はなかった。
刺客は何とか腕で防いだが、今度の加賀の一撃はかなり強く、刺客の飛ぶ様は壁に重力が向かっているかのようだった。
加賀は相手が起き上がらないのを確認してから、ロープを取りに車に戻った。

「敵が弱くて助かったぜ…っと、あいつ、うまくやってるかな?」
刺客を縛り終えた加賀は、秋山の所に向かった。
遠い上に逆光で様子はよく分からない。
ただ、どうやら少女は起きているようだ。
さらに近付いた。
何やら話しているらしい。少々甲高い声が聞こえる。
「…何言ってるか分からないけど、ここまで届くのって大声じゃねぇか?」
さらに近付いた。
まだ内容は聞き取れないが、言い争っている気がする。
「何やってんだあいつ…ったく、もう少し頼れる奴だと思ったんだけどな。」
加賀は駆け出した。先ほど戦っていたとは思えないほど速い。
ここまで近付くと様子が分かる。座っている秋山に少女が何かを迫っているようだ。
さらに、少女が何を言っているかも聞き取れる。秋山の声はかき消されるのか聞こえない。
「なんとか言ったらどうなんだ!ふざけてんじゃねえ!」
どう聞いても、少女はそう言っているように聞こえる。
「あのボケが…」
加賀の右手は無意識に拳を固めていた。
加賀がその場に着くと、まずその勢いで秋山に殴りかかった。
足音を立てていたので秋山は加賀に気付いていた。その拳を際どくかわす。
「おい秋山。お前何してんだ?」
秋山の代わりに、少女が答えた。
「あんた、こいつの友達か何か?こいつ、ずっと黙ってんだけど。」
その答えを聞くと、加賀は左足で秋山に回し蹴りを入れた。秋山が右腕でそれに合わせる。
そのままの姿勢で、話を続けた。
「何やってんだお前、緊張でもしてるってのか?」
「そうじゃない。君が今言っても無駄、待てと言ったんじゃないか。」
「…てめぇも縛ってやろうか?」
「ところで、聞きたい事があるんだが。」
少女の言葉に、加賀は蹴りの姿勢をやめて座った。
普通に話せば可愛い声なんじゃないかと思うのだが、この言葉遣いの荒っぽさがそれを台無しにしている。
「ああ、こいつに聞くよりか正しいと思うぜ。」
加賀は秋山を指して言った。
「まず、ここはどこなんだ?」
「ここはビルの空き室だ。魔法庁の事務所だったんだが、少し前に引っ越してから誰も入ってねぇ。」
「何だ、そのマ何とかって。まぁいいや。で、えーと何だっけ…ああ、あんたらは誰なんだ?」
「魔法庁の役人。簡単に言えば公務員だ。でまぁ…」
「だから何だそのマホ何とかって。」
「国内の魔法に関する仕事を総括して行っている国家機関だ。まぁ極秘の存在だから普通は知らないけどな。」
ここまで流れるように行われていた問答だが、ここで一瞬止まった。
ちなみにここまでの間、秋山はずっと暇そうに座っていた。
「何に関する仕事?」
「魔法。」
「魔法って…火を出したりとかするあれ?」
「そうそれ。」
「…オレをなめてんのか?」
「まぁ確かに信じられんよな。」
「国家機関とか言ったよな。だったら、さっさと家に帰してくれよ。」
「ああそれ、名前と住所、後で聞こうと思ってたんだ。教えてくれないか?」
ここまで再び流れるように続いていた問答だが、また止まった。
ちなみにここまでの間、秋山は退屈そうに寝そべっていた。
カップラーメンでも作れるんじゃないかと思うほど長い沈黙の後、ようやく少女は喋った。
「あ、思い出した。」
「…思い出した?」
「ああ、それ、さっき聞こうと思ってたことなんだ。」
「…は?」
「オレ、誰なんだ?」
また、会話が止まった。
空間が止まったと言った方が正しいかもしれない。
秋山も驚いて振り向いたまま、微動だにしない。
長い間を開けて、少女が発言を再開した。
「…えーと、あんたら、オレの素性、ご存知ない。」
「…まぁ、それ聞くために起きるの待ってたわけだし。」
「何か、手がかりあったりしない?」
「バッグは吹っ飛んだみたいで探す余裕なかったし…ポケット探るのは気が引けるしな。」
「別にポケットくらいどうってことないだろ、男同士なんだし…」
言いながら、少女はポケットを探り始めた。
一瞬探り終わるまで待とうかと思った加賀だったが、すぐに問題に気付いて聞き返した。
「今、何て言った?」
「ん?男のポケットを探るのに気が引ける必要ないだろって言ったんだが…」
男二人の近くの空間が、また、止まった。
少女は、その事には全く気付いていないようで、逆側のポケットを探り始めた。
「…加賀、どういう事なんだ?僕にはよく分からないんだが。」
あまりの事に、先ほどまでずっと黙るのを貫き通していた秋山が質問しだした。
見た目もそこそこ可愛くてどう見ても女子なのに、男と言い出すのだから驚かない人はいないだろう。
「俺にもよく分かんねぇが、多分、あの爆発のショックで記憶がどうにかなったんだと思う…」
「そこまで記憶が壊れるものなのか…?」
「俺もなった事はないけど、今回は雷が入ってるし、脳の電気信号が乱れて…」
「ん?どうしたんだ?」
急に少女が話に割って入った。ポケットを探り終わったらしい。
二人は驚いて少女の方を見たが、何事もなかったかのように返事をした。
「あ、いや、何でもない、よな?」
「そ、そうだ、別に大した用でもなかった、よ、な?」
「ところで、何かあったか?」
「それが本当に何もなくてさ。紙一枚すらない。」
「ダメか…総帥に相談するしかないな。どっちみち魔法庁には連れてくんだし、いいか。」
「何か信用ならないけど…頼むよ。」
こうして、男達がここにいた理由の一つ、少女の身元の話は、意外な方向でひとまずは終了した。
しかし、なおさら厄介な問題になった事に少し気が重くなる二人であった。
「…ところで、何て呼べばいいんだい?」
ふと、秋山が聞いた。
「うーん、本名が分かればいいんだけどな…」
「服に名前書いてあったりしないか?」
「オレ、そんなダサい事してたらやだな…」
と言いながら、制服の上着の裏側を慎重に調べ始めた。表が焦げているので触れれば手が汚れるし、何かの拍子に崩れそうな気がするので、割れ物のように扱っている。
もっとも、崩れるならここに運ばれる前に崩れそうだが。
「あ、名前書いてあった…佐倉、って読むのかな。」
名前が分かったのに、少し残念そうだ。
ちなみにそこには名字しか書いてなかった。他の部分も探したが、フルネームは見つからなかった。
「一応名前も分かったし、そのマ何とかって所にさっさといこうぜ。」
マホ何とか、から少し退化してしまったようだ。
だが、加賀と秋山は行く様子を見せなかった。
「いや、その前にもう一つ用があってな。」
「何だ?」
「お前、自分が光ってるの気付いてないか?」
「気のせいだと思ってたんだが…」
確かに佐倉の周囲が明るい気がするが、気のせいと言えばそう思えてしまうほどだ。
いや、光る人間なんていないはずだから、誰だって気のせいだと思ってしまうだろう。
だが、そんな常人の常識を破る言葉を、加賀はまた発した。
「それ、お前の魔法なんだ。」
「は?」


あとがき
第二章、急に謎が山積みです。
次章あたりでだんだん解決していくと思います。
というか謎のままだったらストーリー進まないし…
って今回あとがきが短いな…

なお、サブタイトルの意味は「佐倉の記憶喪失がこの物語の始まり」なので、別にそれ以外が始まる予定はありません。


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